私は愛知県春日井市の通所介護施設で、機能訓練指導員(理学療法士)として、機能訓練業務とレクリエーション業務に携わっています。普段の業務では、在宅生活をより良くするための支援として、主に運動療法での基本的な運動能力や日常生活動作の獲得を目指しています。
しかしながら、気分が乗らないと運動に参加できない場合もあり、相談にのる中で、運動に対するストレスの因子は人により様々であることに気付き、セラピストとしてコミュニケーションを取るのに傾聴、共感、受容をより意識するようになりました。そのような葛藤を抱く中で、音楽療法士を志すきっかけとなったのは認知症のクライアントとの出会いでした。
ある日、当施設では音楽に興味を持っている人が多いとのことで、集団レクリエーションの時間に、クライアント30名に対して楽器を演奏する機会をいただきました。そのときに、学生時代から続けていたアコースティックギターの弾き語りで唱歌と懐メロを披露しました。余興の気持ちでいましたが、岡本敦郎の[高原列車は行く]では軽快なリズムに合わせて手拍子しながら明るい表情で歌い、文部省唱歌の[赤とんぼ]では涙を浮かべながら静かに歌う姿を目の当たりにして、それまで無表情・無関心だった方の気持ち変化が生じていることに気が付きました。演奏後には、「ありがとう」「演奏してくれるのが楽しみだわ」「また歌いたい」と声を掛けていただいたことが、自分自身の活力となりました。しかし、同時に、知る由もないそれぞれの抱える心の重みに寄り添う責任と重圧に、本気で向き合えるのか不安な気持ちになり、専門的な知識・技能の必要性を痛感しました。そのような経験が本校のもとで音楽療法士を目指すに至った経緯です。
MITS(ミュージックインストラクターズ養成学院)で2年半年間の音楽療法の修練を経て、本校認定音楽療法士となりました。当院の受講では、特にどのようなことがクライアントの求める支援に繋がるのかを探求する力を養えたことが一番の財産になっていると思います。0からのスタートであった私でも着実に実力を付けることができましたのは、先生方の丁寧な添削と、実技研修での熱心なご指導によるものだと感謝しています。
現在は当施設において、週1回、余暇活動の時間(50分)を利用して、オープンプログラムにて音楽療法を実施しています。また高齢者に対して健康に対する自覚を高めるための啓発や、地域を基盤とした健康づくり活動の支援として音楽療法を取り入れています。
音楽療法士として2年目を迎えましたが、音楽を楽しむだけでなく、常にクライアントと対話しながら、目的に合わせて目標を設定したり、音楽の有効性を検証しながら試行錯誤を続けています。「難しいのはダメだけど音楽が好きだから続けたい」「このくらいなら私でもピアノで弾けるかもしれない」「昔を思い出したわ」「楽しいから身体を動かしたい」とのクライアントの声にとてもやりがいを感じています。